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上書きを許すな

上書きを許すな

投稿日:2021年10月4日/更新日:2022年9月14日

爺の雑言10 – 上書きを許すな

突然の菅首相の自民党総裁出馬取りやめから、岸田新総裁選出、首相就任後の人事そして衆議院解散総選挙へとテレビのニュースショーは盛り上がっている。菅さんの支持率が下がり、自民党内でこのままでは選挙が戦えないと若手議員から声が上がったことで、菅さんは自民党総裁選出馬を取りやめた。首相の人気状態で選挙の当落を左右される議員は本来不要な議員に見える。日頃の活動が起立要員である以外、国民のために何もしていないから選挙の顔で右往左往することになるのだ。少なくとも菅さんは前政権が手当できてなかったワクチン確保と接種の促進に完璧ではないとしても力を注いだ点は評価していいのではないだろうか。彼には、NHK改革、デジタル化の促進などへ力技を発揮してほしかった。コミュニケーション力や説明力が低いことでマスコミから叩かれ、人気を失ってしまったのは残念である。そして岸田首相誕生により安部・菅政権の負の過去が上書きされるのだろうか。

忘れていいのかオリンピック騒動

オリンピックとパラリンピックでは、コロナ禍の中、日本の選手も外国の選手も素晴らしいパフォマンスを見せてくれたことに感謝したい。だが、オリンピックは開会式前のゴタゴタと開会式そのものバラバラ感、その表現意図の分かりにくさがあった。加えて、橋本五輪組織会長とバッハIOC会長のいつ終わるのかと思うほどの長いスピーチが開会式全体のガッカリ感をダメ押しした。

無観客開催で終わってみると、オリンピックをわざわざ東京で開く意味があったのだろうかと思ってしまう。加えて、今回のオリンピックは、弁当破棄、医療器具破棄の問題だけでなくお金の雑な使い方が目立った。収支の開示を含めて組織委員会、東京都、政府からの説明があって当然だ。だが、日が経つにつれ国民は忘れるものとして、オリンピックのこれらの問題はなかったことに上書きされてしまうのだろうか。

それに比べて、パラリンピック開会式は、「WE HAVE WINGS(私たちには翼がある)」のコンセプトで、会場を空港「パラ・エアポート」に見立て、パフォマンスが展開され一貫性のある進行は評価できた。加えて、パラリンピック選手のパフォマンスと才能に感動した。閉会式もオリンピックを上回る演出で勇気を与えるものであった。パラリンピックは東京で開催された意味を充分に見せてくれたと思う。

デジタル庁はスタートしたが・・・

行政のデジタル化促進を進める司令塔を担うデジタル庁が9月1日からスタートした。デジタル庁創設は菅首相の公約の一つで、「規制改革のシンボル」としての位置づけで発足を急ぎ、5月にデジタル改革関連法の成立によりスピード創設が決まった。

デジタル庁は、「デジタル社会形成の司令塔として、未来志向のDX(デジタル・トランスフォーメーション)を大胆に推進し、デジタル時代の官民のインフラを今後5年で一気呵成に作り上げることを目指します」とウェブサイトで表明している。

デジタル庁は大きな取組として①徹底したユーザーインターフェース・ユーザーエクスペリエンス/国民向けサービスの実現②マイナンバー・マイナンバーカードなどデジタル社会の共通機能の整備・普及/プラットフォームとしての行政③データ戦略(ベース・レジストリの整備/トラストの確保/DFFT(Data Free Flow with Trust信頼ある自由なデータ流通)の推進)④官民をあげた人材の確保・育成⑤新テクノロジーを大胆に活用調達や規制の改革の5つを掲げている。

特別給付金10万円のオンライン申請、雇用調整助成金オンライン申請、スマホアプリCOCOAの不具合をはじめコロナ禍で浮彫になったデジタル行政の遅れは今も続く。マイナンバーカードの交付率は38%程度で、22年度末までに「ほぼ全国民」に行き渡らせるプランは遠い道のりにみえる。爺もカードを持っているが、税務申告時使用以外に使うことがない。持つメリットの強化とともに、カードを持ち歩かないで済むスマホアプリの導入をこの際求めたい。

IT機器を使いこなせるかどうかで、受けられるサービスに差がつくことを恐れていては何もできない。できない理由はもういいから、できるには何をするかを示し実行してほしい。そうでないとデジタル敗戦国日本は世界とのデジタル競争には勝てない。日本の組織において、なにか問題が起こると○○組織や○○委員会といった物をつくり、それで問題が解決したとお茶を濁すことが多い。デジタル庁も組織はできたが、それで終わりではない。スピーディーに改革を実行してほしい。デジタルの世界は足が速い、5年後には更に遅れたにはならないで欲しいものだ。

岸田内閣で牧島カレンさんがデジタル相になる。オリパラアプリ入札問題で、IT総合戦略室の6人が処分を受けたが、委託先企業への問題発言者である平井デジタル改革相は給与返上でお茶を濁した。デジタル相交代でこれも無かったことに上書きされるのだろうか。

雑誌の中吊広告撤退から見える風景

「週刊文春」と「週刊新潮」が電車中吊り広告を終了した。売り上げトップの「週刊文春」が中吊り広告の終了発表に続き「週刊新潮」も中吊り広告の終了を発表した。背景には書籍の電子化や購買モデルの変化がある。活字離れとともに、ゴシップやトレンドなどはネットニュースというスピードが早くて手軽なメディアの台頭で週刊誌の売上が落ちているからだ。情報を集めて紙に印刷している間に、ニュースの鮮度は落ちていく。しかも情報の伝播するスピードは日に日に早まっている。

誰もスマートフォンを持っていない頃、中吊り広告は乗客の目をとらえた。電車の中で見て気になったら駅の売店で購入できるという「広告と購買動線」を結びつけたビジネスモデルだった。しかし通勤通学時の乗客の9割型がスマホに夢中で顔も上げない今、雑誌の中吊り広告はまったくといって広告効果を成さないものになってしまった。過って中刷り広告で露出を争っていた「週刊現代」や「週刊ポスト」も既に止めてしまっている。

「週刊文春」「週刊新潮」2誌ともに、中吊り広告を終了により浮いたコストで電子化に力を入れていくとのこと。今年3月に電子版を開始した「週刊文春」は、中吊り広告終了後の9月から電子版を宣伝するためのキャンペーンを展開し、電子版では毎週発売日の前日にスクープ記事を公開し、情報を読者に届けるまでの時間短縮に努めていく。「週刊新潮」はニュースサイト「デイリー新潮」の内容の充実や宣伝の強化を進めている。

雑誌だけでなく、新聞もデジタル化に力を入れるウエイトは増していく。スピードの重視を図るあまり、根本の記事やニュースの取材力、正確性、信頼度に力を注ぐことは忘れないで欲しい。そして、デジタル化によってニュースそのものが日々上書きされ、過去が消え去るのを促進するのではと危惧してしまう。

4K/8Kってどうなる

オリンピックにより4K・8Kテレビ普及を狙っていた家電業界に風は吹かなかった。総務省は2018年に本放送が始まった4Kと8Kの超高精細映像の普及を、このオリンピックを期に普及させる計画であった。4K・8Kの威力を発揮するのは大画面である。全国各地のパブリックビューイングで、その威力を大いに宣伝する予定でもあった。しかしコロナ禍でオリンピックのパブリックビューイングは中止となりその特長を知らしめることができなかった。我が家も早々と4K大型テレビを購入したが、オリンピック、パラリンピックの開会式、閉会式以外4Kで見ることがなかった。4Kで見るコンテンツが少ないのだ。バラエティ番組が多く、わざわざそれらを4Kで見る意味もないのだ。結局、自室の40型テレビでNETFLIXやAMAZONプライムを見ることになってしまっている。

民放では制作費削減でコストのかかる4K・8K番組企画案が通らなくなっている。そうなると受信料強制徴収で潤沢に予算のあるNHKの出番だが、4K・8Kでわざわざ見るほどの興味あるコンテンツが番組を放送としていないのが残念だ。このままある日4K・8Kが放送から消え、無かったことに上書きされることは許されない。

NHKのオリンピック放送中に感じたのが、民放の放送かと思うほどのタレントが出てのはしゃぎ様だ。盛り上げたいのはわかるが、競技・競技者中心に放送できないのかと思った。受信料強制徴収の公共放送であるなら、放送技術の開発発展に力をそそいでもらいたいし、民放への技術供与も期待したい。その為にも番組予算の使い方にはもっと工夫と慎重さを示して欲しいものだ。

 

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